2022.01.13 Thu.

信用をリセットするコミュニティと、時間軸を操るUX

2022.01.13 Thu.

信用をリセットするコミュニティと、時間軸を操るUX

最近読んだ書籍に、小川さやかさんの『チョンキンマンションのボスは知っている アングラ経済の人類学』があります。

香港のチョンキンマンションに長期滞在してビジネスをするタンザニア人コミュニティの日常を、文化人類学の観点から記した書籍です。私たちのように資本主義経済の中で成長し、成熟した文化圏とは全く異なる形で、テクノロジーを使った新しい形式での信用経済、シェアリング経済が成立する可能性を見せてくれる、示唆に富んだ内容なので、おすすめです。

信用は人ではなく、状態にラベリングされる

この本で個人的に最も面白かったのは、タンザニア人の「信用」に対する考え方でした。

日本人的な感覚として、「この人は信用できる」「この人は信用できない」という形で、通常、人に対して信用のラベリングをしています。裏切りや許されないことをするとその人の信用は地に落ち、回復には時間がかかりますし、それが噂になって人に伝えられる可能性もあります。テクノロジーはこの可視化を進行させている傾向があり、自分の行いが評価として刻印されていく形で使われるので、悪意のある行動を起こしにくくなっています。

しかし、タンザニア人にとって信用とは人に属すのではなく、状態に対してラベリングされるようなのです。タンザニアの場合、日本の経済と比べて不安定であることもあって、商売がうまく行っていれば信用に足る行動をしますが、誰しもそんな時ばかりではなく、状況が悪い時は自暴自棄になり、裏切ったり騙したり、信用に値しない行動を取ってしまうこともあります。日本だとそれは、ある程度の情状酌量はあったとしても、努力や頑張り、優しさなどによる「自己責任」と見なされ、その人の過去として信用を測るために使われますが、タンザニアの人々にとってそれは誰しも起こり得る状況であり、確かに残念なことではあるが、「その人が悪い、信用できない」という結論にはならないそうなのです。

皆、口では「誰も信用できない」と言い、一見冷たく見えるのですが、それは「状況が悪ければ誰だって悪い行動を取ってしまう、それは仕方のないことだ」という前提があって、逆に過去やってしまった悪い行動は重視されない、と。異国の地でビジネスをするタンザニア人コミュニティだから、なるべく相互に助け合う必要があってそうなっているのだ、と言われればそうなのかもしれませんが、「助け合いに参加する人に対して、基準や区別を設ける」という当たり前のことをすっ飛ばして成立しているわけです。

通事と共事で考える癖

アフターデジタルシリーズでも、人を「属性」ではなく、「状況」で捉えるべきだと常に言っていますし、クレイトン・クリステンセンさんのジョブ理論や、平野啓一郎さんの「分人」という人間観のように、共通する考え方がどんどん主流になってきているようにも思うのですが、このように「人を時間軸ごとに異なる存在として捉える」という考え方は、状況ターゲティングをやたらと語っている私から見ても、目から鱗の人間観でした。

少し脱線しますが、共事と通事という考え方があります。共事は「時間の流れや歴史的な変化を考慮せず、そのタイミングにおいて様々な場所で起きている現象」を指します。2021年11月において、日本やアメリカや中国、または香港やタンザニアで起きている現象の違いを語る場合、共事的な語りをしているということになります。

一方で、通事というのは逆で、「時間の流れや歴史的な変化に沿って変化する現象」のことを指します。日本という場所において、例えば政治や労働形態がどのように変化してきたかを語る場合、通事的な語りということになります。

私自身、中国をはじめ、様々な地域でのサービスやUXについて調べたり考えたりしているので、基本的に共事的なモノの見方をしており、「インターネット時代の変化」程度の時間軸で語っています。日本においては共事的な違いを語ることの情報価値が高いので、アフターデジタルというシリーズが人気をいただいたのだと思います。そういう私からすると、コテンラジオのように、お金に対する考え方や、コミュニケーションの在り方が、時代に応じてどのように変遷してきたのかを体系的に語り、「今の価値観が当たり前ではないのだ」と感じられることは非常に価値が高いように思います。

この「通事と共事」という言葉を知ったのは18歳の時なのですが、ようやくこの2つが使えるようになってきている感覚があります。この2つの観点を明確に分けて持つと、「今自分はどちらの話をしているのか」を意識したり、共通項や違いを探す際の思考の軸として使えたりしますし、あらゆる解釈において精度を高めたり、自分の物差しのバイアスにも気づけたりもします。

まさに、ビジネスにおいても海外事例を参照して日本で展開しようとするケースでは、この2つの観点からローカライズしないと、十分に背景が踏まえられておらずに失敗したり、適切に輸入できなかったりするケースは良く見られますよね。

(なお、この言葉はフランスの言語学者であるソシュールが使った用語のようなのですが、「共通」という言葉におけるそれぞれの漢字があてがわれていて、この言葉を和訳した人は天才だな、と勝手に感心しています。)

時間の尺度を変え、コミュニティの在り方を流動的

さて、話を戻しましょう。

個人的な解釈ですが、『チョンキンマンションのボスは知っている』で語られるタンザニア人の人間観は、一見日本からはかなり遠く見えるかもしれません。しかし、人の在り方やを時間や状態ごとに新しいもの・異なるものと捉えたり、信頼をリセットするような考え方は、アフターデジタルやジョブ理論で捉えようとしている人間観に近いと思っています。このような形で時間軸の視点を扱えると、サービス作りなどにも応用ができます。

実際に、近しい状況は身近に発生しています。以前実施したUX設計のプロジェクトでは、相互に助け合うコミュニティを企画する際、「固定化するコミュニティはもはや求められていない」という発見がありました。顔や名前が一定見え、コミュニティメンバーが固定化してくると、一部の人たちは報酬を求め、結果として地位を確立していくことがほとんどです。そうすると、当然ベテラン化したり、居座ってふんぞり返っているようなメンバーが生まれ、そのコミュニティに新たに参加する人や十分に貢献できていない人たちが、負い目を感じたり、そこにおいて「信用を勝ち取った人」に頭が上がらなくなってしまいます。

このプロジェクトでは、負い目を感じずに常に共同体が生まれては解消されていくような、流動性の高いコミュニティの在り方を提唱したのですが、奇しくもそのプロジェクトで提示した体験の方向性が、既にタンザニア人コミュニティの中で文化的に生み出されていたことになります。文化人類学者の小田亮さんが、こうした「負い目の存在」を贈与交換、分配、再分配、市場交換という4つの交換タイプに分類されており、物の受け取り方や交換の在り方によって、負い目を作る環境と作らせない環境ができることを示されています。20年以上も前に提唱された考え方ではあるのですが、改めてテクノロジーが追い付き、今の時代にUXアーキテクチャの設計にも応用できるモデルになっているのではないかと思います。

『メッセージ』(英題:”Arrival”)という映画があります。人は時間を移動することはできず、場所を移動することができるので今のような進化を遂げていますが、発見されるテクノロジーが異なっていれば、場所は移動できなくとも時間を移動できる、という進化が有り得るかもしれない、という仮説を示している、非常に面白い映画です。時間や空間のどちらかを固定させたり、その捉え方の尺度を変えたりする方法は、どうやらコンテンツ作りにも応用可能なようですね。

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